極真会館 静岡南道場
こちらは妖刀村正・大石代悟首席師範の管轄する道場です。 責任者は柴田自由(四段)。 全日本大会にも出場経験があり、現在幼年から一般までを精力的に指導している。
読 む
先日、テレビを見ていたら“アルピニスト・野口健氏”が出ていた。
その中での話し。
「高校時代不登校になり何もすることが無かったので海外を放浪していた。その時読んだ本が『植村直己』氏の本であった。この本から影響を受けて山に登るようになった。」と言っていた。
 
 さかのぼること約二ヶ月前。
 ロシア遠征から帰国した思い出話を大石主席師範と電話でしていたとき、たまたま「我々は大山総裁の本から影響を受け『極真カラテ』にのめりこんだ。お互いにそうだな。」と言う話をしていただいた。
 
 確かにそうだ。
 私たちの世代は「空手バカ一代」の劇画(漫画)世代だ。しかし、劇画から入り、大山総裁の著書を読み漁った記憶がある。大石主席師範の時代はまだ「空手バカ一代」という劇画は無かったが、その分、大山総裁が記した、いわゆる「本」から影響を受け「極真」に憧れ、自身をその中にのめり込ませた。

 はたして、今の子どもたちはどうだろうか?
本を読み、影響を受けることがあるのだろうか?
情報過多といわれる時代だから、その中から何を選んで自分の糧にすればよいのか迷うことだろう。しかし、その前に本を読む習慣があるのだろうか?『本屋で、自分の目で見て、本を選び、買って、家に帰り、何度も何度も読み返し、影響を受け、行動する。』こんなことは無いのかもしれない。

ある高段の先生は道場でこう話したという。
「本を読め。文章が難しいなら『マンガ』でもいい。」と。

全く同じ事を道場で話そう。そう思った。
試合結果と昇級
 山梨県大会の際にいつも入賞する静岡南道場の生徒を見てある先生から次のように言われました。「あれ?まだ以前と同じ帯?いつも勝ってるのに?」と。

 確かに試合ではいつも入賞しているが試合結果と昇級は別。その場基本、移動基本、型、号令掛け、立振舞がしっかりと正確に出来なければ昇級は出来ない。
 試合結果のみを空手の実力と考えて、それと昇級を結びつけると、精神的な成長は見られない。「やったもん勝ち」的なものになってしまう。
 ある大きな組織の長は大会で素晴らしい成績を残した。しかし、結果的にそれが思わぬ方向に進んでしまい大変なことになった現実を私は知っている。試合結果と昇級はイコールではないのだobi.jpg

山梨県大会
 9月18日(日) 山梨県極真空手道選手権大会が山梨県河口湖町体育館にて行われた。結果は以下のとおりだ。
  小学1年男子 優勝 彰くん
  小学1年女子 優勝 明日香ちゃん
  小学4年女子 優勝 麗華ちゃん
  小学5年女子 優勝 由衣ちゃん

 また、遠くまで応援に来た岩田君、小田切君お疲れ様。
 さらにスタッフとして働いてくれた、橋本初段、江藤初段、栗原2級、浦田君、野田さん、小泉・大石・吉田の中学生トリオ、皆さんありがとう。P9180671.jpg

稽古回数
静岡南道場は稽古回数が多く設定されている。
幼年部は月・木の16時から、+土日午前の合同稽古。
少年部は月・火・木・金・土の17時30分から、+土日午前の合同稽古。
一般部は火・金の19時30分から、+土日午前の合同稽古。
さらに9月からは土曜の19時からの特別稽古のコマも増設した。合計で週に12コマ。

さて、一ヶ月での最高出席回数は何回だろう?

少年部では月に30回ほど稽古に来る子がいる。
基本的には水曜日が休みなので「30回は無理」と思われるだろうが、そんなことは無い。一日に2回稽古にくれば可能性がある。

少年部は大人ほど集中力が無いので一回の稽古時間は1時間15分。この場合、火曜や金曜は17時30分から稽古に出て、入れ替えの際に休憩を取り、一般部に出席することも出来るし、また、土曜日などは午前の稽古に出て、夕方もう一度来ればいい。集中力が無い分、回復力は段違いだ。

そんなにたくさん稽古に出ることには賛否両論あるだろう。しかし、これは私の経験からくる持論だが、何かを身に付けるには毎日毎日、何度も何度も繰り返すことだと思っている。好きだとか嫌いだとか、上手いと下手だとかは関係ない、何度も何度も繰り返し行えば必ず身に付くと思っている。ましてや空手の道場はテクニックだけを身に付ける場所ではないはずだ。少年部の入門動機に最も多い、礼儀や挨拶、一生懸命取り組む姿勢などは日々そういった環境に身を置くことによって身に付けられると思う。
だからこそ、多くの道場生がよりたくさんの稽古に出席して欲しい。(願)
午前中の稽古
 当静岡南道場は土曜日、日曜日の午前中に稽古日が設定されている。

 日曜の午前中は、まだ私がサラリーマンだった頃、「何とか、稽古時間を確保し、指導したい。」と考え、空いている日は日曜の午前中しかなかったからだ。サラリーマンとして仕事をし、家庭サービスの時間も必要だった。考えた末、思い切って日曜の朝9時からを稽古時間に設定した。日曜の午前中はお父さんお母さんにとってはゆっくり出来る唯一の時間。しかし、子ども達にとっては遊びに連れて行ってもらえないなら退屈な時間に決まっている。毎週、毎週どこかへ遠出することも無いだろう。また、親が日曜日に休みの取れない仕事なら、その子どもたちは寂しい思いをしているだろう。少しの時間でも道場へ来て、身体を動かし、仲間と会話すれば「居場所」を見つけることが出来るのではないか? そんな思いから始めた。 

 土曜の午前中は、学校週休二日制になって子どもたちの居場所が無くなるのではないかと危惧したことから始めた。子供たちにとって暇になって良い事は何もないと私は考える。
 何十年も仕事をし、働いてきた方たちにとっては休みが増えることは明日への活力になるだろう。しかし、時間の使い方も判らない子どもたち(小学〜高校生)にとっては何の得にもならないと考える。誰かに管理してもらい、何かを学ぶ時間が在ったほうが良いに決まっている。

 ある道場の先生に「そんな時間に設定して稽古に来る人、いるの?」と言われたことがある。
 しかし、なんのその、本日(05年9月11日)は幼稚園・小学生50名、中学・高校生10名、一般社会人が10名の合計70名が稽古に参加した。もちろん、時節によっては出席者の少ない時もある。それでも、たいていは40名以上の出席者がある。出席者に感謝! 押忍!!

テーマ:格闘技 - ジャンル:スポーツ

型と組手
 大石道場は今年から「型試合の充実」を目標に動いてきた。その表れが県大会での型試合開催とチャレンジカップ富士での男子型試合の開催だ。
 今回のチャレンジカップエコパでも男子の型試合が行われる。当道場からも型試合への参加者が多く、嬉しく思っている。
 しかし、これだけは解ってほしい。
 「型試合だけを目標にしていては精神的な向上は見られない。」ということだ。(特に男子)
 極真の組手試合は大変だ。相手と戦わなければならない。突いたり蹴ったりの恐怖はやった者にしかわからないだろう。実際、多くの道場生はこれを乗り越えられずに道場から足が遠のく場合が多い。
 お父さんやお母さんが思っている以上に怖いものだ。お子さんたちはそこを乗り越えて組手試合に挑戦しているのだ。そして、負けても何度も何度も挑戦している間にちょっとのことでは動じない強い気持ちが生まれてくるのだ。

 例えば、新しい環境になかなか慣れない子どもがいる。幼稚園という場所、学校という場所、道場という場所に慣れずに泣いてしまう子どもがいる。また、誰かとぶつかっただけですぐ泣いてしまう子どもがいる。確かに感受性が強く、ナイーブなのでそうなってしまうのだろう。それはそれで決して悪いことではないと思う。しかし、それが良い面に働けばいいが、男の子の場合はどうしても軟弱に見えてしまい、歯がゆく感じることは否めないだろう。優しいお母さんに育ててもらった証拠だからお母さんは自信を持ってもらって結構だ。しかし、その育て方も年齢によって変化させていかなければならないだろう。経験的に話をさせてもらうと年少さんまでは優しいだけの育て方でもいいと思う。しかし、年中さんからは強さを合わせ持った育て方が必要になってくる。

 話をもとに戻す。新しい環境に入って泣いてしまう子どもはそこから逃げないで何度も繰り返しそこに行ってみることだ。誰かとぶつかってすぐ泣いてしまう場合は「押しくらまんじゅう」でもやってみることだ。そこから逃げなければそれそ乗り越えられる。
 もし、「組手が怖いから型に出よう。」と思ったならそれは「逃げ」だ。だから「型」の試合だけでは強くなれないのだ。体格差をも跳ね返す強い心は組手へ挑戦する事から始まるのだ。

*女の子は別。型試合にどんどん挑戦しよう。s-PA100017.jpg

何から教える?
少年部の指導で「内廻し蹴り」と「外廻し蹴り」を行った。もちろん今までにも何度も何度も行ってきた。
いつもは向かい合った相手を座らせて、その頭上を越すように足を蹴上げる。
今日は「受け手」が手を出し「蹴り手」がその手を目掛けて「内廻し」「外廻し」を仕掛けるように伝えた。
 「打ち廻しの時は足刀を意識し、外廻しの時は土踏まずを意識して・・・」と話したところ、みんなの反応が良くない。なぜだ???

 少年部の多くは「土踏まず」を知らなかったのだ。
 いったいどういうことだ?「土踏まず」を知らないなんて。
50名ほどの参加者の中で知っていたのは5〜6名。(小学1年生以上の稽古で小学4〜6年生も何人も参加していた。)
 いったい「家」で、「学校」で何を勉強しているのだ。
 イヤ、勉強というものでは無い。知っていなければならない事を知らなさすぎるのではないか。テストで良い点を取るだけの勉強をし、日々の生活の中で使用する言葉を知らないなんて・・・。(言いすぎだろうか?)

 と、記すと「そんなものはそのうち覚えるさ!」という反論が聞こえてきそうだ。
しかし、そんなことは無い。どこかで誰かに教わらなければ、また、そういったきっかけが無ければ覚えられない。
 我々は空手の指導をするためにいったい何から教えていかなければならないのだろう。
受信メール
 静岡南道場のHPを見た方からメールをいただきました。
 紹介させていただきます。
 40代後半の大学教授からです。

 (ご本人には了解を頂いています。個人名は伏せさせていただきます。)


 【南道場のホームページ楽しく拝見させて頂いています。この間の充実振りと、そこから伝わる先生の様々な思いに共感しきりです。
 とくに言うべきことを伝えるか? 伝えないか? という悩みや反省の部分は、教育者の端くれである私も日々悩むところです。学生とのゼミ合宿の打上げコンパで、「○○ゼミ」は今や人文学部経済学科で30ぐらいあるゼミのなかで一番厳しいという評価になっている、「勉強になるけれど叱る先生だ」ということで敬遠する学生が多いという話を複雑な思いで聞きました。
 日々叱られているゼミの学生からは、「今は悪いことをしていても叱ってくれる人がいないし、叱られて納得することばかりだから、このゼミに入って良かったと思っていますよ」と逆に励まされる始末でした。
 
 駒沢大ゼミとの合同合宿だったのですが、駒沢の先生の「今の大学生を大人だと思って指導したら大間違い!常識が欠けていて子供だと思って付き合わないといけない」の指摘通りの状況です。
 私も今春の卒業生の追出しコンパ時には、「浅田次郎という小説家は現代人は、10歳幼いと指摘している。君たちを二十歳を超えた大人だと思うから腹が立つことばかりだけど10歳の小学生だと思うと納得することばかり。でも10歳そこらで社会に出る君たちは可愛そうだね。本当に頑張らないとだめだよ」という話をしてしまいました。

 昔、ある学生を叱ったときに「親からも叱られたことがないのに何で先生に叱られないといけないんだ」と反発した学生がいたことを覚えています。また体育館の道場の畳の上に運動靴であがりこむ学生を叱ったとき、あまりにもきょとんとしているので「なぜ、靴を履いていることを叱られているのかわかっている?」と聞くと「わかりません」と答えられたのも鮮明に覚えています。
 人間として教えられるべきことを教えられずに育ち、社会に巣立っていく若者は不幸だなと実感することが大学では山積しています。そういう中で叱ることが増えていくのですが、叱った後は、その日一日「あれでよかったのかな」と思い悩むことを今でも繰り返しています。
 ただ言うべきことを言うのが大人そして教育にたずさわるものの責任、それを支えるのは信念であり、その信念を支えるのは謙虚な反省であると思いつつ学生と接しています。

 空手を通じて子供たちを心身とも健全に育って欲しいという先生の思いや日々のご指導には、本当に感服することしきりです。】

 お褒め頂、ありがとうございます。これからも一生懸命頑張りますのでよろしくお願いいたします。
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