先日、「ルールに守られるだけではだめだ!」と言うことを記した。
極真を武道として捉えているなら、試合の中でのちょっとした掴みや顔面をかする攻撃などをモノともしない強さが必要だということだ。
さて、そこから話しを一歩進めよう。
世の中で生きていくにはいろんなことがある。楽しいこと、悲しいこと、悔しいことなどいろいろだ。当然、「身にかかる火の粉」は振り払わねばならない。
例えば、青信号を信頼して渡っていたとしよう。そこに信号無視をした車が突っ込んできた。怪我をする、時には死に至る。もちろん悪いのは信号無視をした車だ。しかし、本当にそれだけなのか?世の中にはルールを無視する奴らなど五万といる。そんなルールを無視する輩にいいようにやられているだけでいいのか?いや、やり返せと言う話しではない。ただ、もし、極真を武道として捉えているなら青信号を信用するだけではなく、「身の回りに気を配り行動せよ。」ということである。そうすれば暴走自動車に引かれなくてすむのではないかということである。
「試合で勝った、負けた」は一時のこと。しかし、暴走自動車に引かれ死んでしまっては何にもならない。武道を通して身を守る術を身に付けようと考えているならそういったことも考えて行動する必要があるのではないか?という事である。
つまり、歩いているときには前後左右に気を配り、「暴漢に襲われないように。」とか、「暴走自動車に引かれないように。」とか考えて生活し、日々自分自身を律する気持ちが必要なのではないか、また、そういった心構えを武道を通して学ぶ必要があるのではないか、ということである。
これこそが「武道」「武士道」ではないのか。
「礼儀を教えたい。」「挨拶のできる子にしたい。」「体力を付けたい。」だけの入門動機から一歩進んだ考え方で武道カラテ・極真に取り組んでもらいたいと考える。
極真を武道として捉えているなら、試合の中でのちょっとした掴みや顔面をかする攻撃などをモノともしない強さが必要だということだ。
さて、そこから話しを一歩進めよう。
世の中で生きていくにはいろんなことがある。楽しいこと、悲しいこと、悔しいことなどいろいろだ。当然、「身にかかる火の粉」は振り払わねばならない。
例えば、青信号を信頼して渡っていたとしよう。そこに信号無視をした車が突っ込んできた。怪我をする、時には死に至る。もちろん悪いのは信号無視をした車だ。しかし、本当にそれだけなのか?世の中にはルールを無視する奴らなど五万といる。そんなルールを無視する輩にいいようにやられているだけでいいのか?いや、やり返せと言う話しではない。ただ、もし、極真を武道として捉えているなら青信号を信用するだけではなく、「身の回りに気を配り行動せよ。」ということである。そうすれば暴走自動車に引かれなくてすむのではないかということである。
「試合で勝った、負けた」は一時のこと。しかし、暴走自動車に引かれ死んでしまっては何にもならない。武道を通して身を守る術を身に付けようと考えているならそういったことも考えて行動する必要があるのではないか?という事である。
つまり、歩いているときには前後左右に気を配り、「暴漢に襲われないように。」とか、「暴走自動車に引かれないように。」とか考えて生活し、日々自分自身を律する気持ちが必要なのではないか、また、そういった心構えを武道を通して学ぶ必要があるのではないか、ということである。
これこそが「武道」「武士道」ではないのか。
「礼儀を教えたい。」「挨拶のできる子にしたい。」「体力を付けたい。」だけの入門動機から一歩進んだ考え方で武道カラテ・極真に取り組んでもらいたいと考える。
どこの道場でも昔(20年位前)に比べて少年部が多い。当南道場も例外ではない。
入門動機の多くは親が考える「礼儀を教えたい。」「挨拶のできる子にしたい。」「体力を付けたい。」などである。
5,6歳から9歳くらいまでの入門が多く、本人たちに入門動機は無い。
そうなると当たり前だが、自主トレなどのように「自分で稽古する」などということはほとんど見られない。例え、審査会や試合などの目標があったとしてもその場しのぎの稽古で終わってしまう。
こうなると、野球やサッカーなど普段目にするスポーツに目移りしてしまい、「辞めたい・・・」となる。
カラテ道場はそのほとんどが「上」から「下」への稽古指導である。もちろん幼年部や少年部をお預かりしているわけであるので当然指導はしなければならない。しかし、「受け身だけの稽古」では彼ら自信の心の成長が見られるはずは無い。だから途中で「辞めたい。」となるのだ。
さてそこで考えた。
彼ら自信に自ら稽古する機会を与えてやることは出来ないだろうか?
受け身の稽古ではなく、自らのやる気を形にしてはやれないだろうか?
結果、「指導を任せる」という方法をとることにしてみた。
南道場では以前からこれに近い形はとっていた。
例えば、オレンジ帯なら「単一技の号令を掛けられる」、「自分の覚えた『型』の号令は掛けられる」、青帯なら「複数技の号令を掛けられる」と言うような形だ。
しかし、これだけでは先生の受け売りだけで終わってしまうので、さらに一歩進める必要があると感じた。
具体的にいうと、緑帯に「準備体操〜基本稽古」までの号令を掛けさせる。その後、茶帯に「キックミット」や「受け返し」などの号令を掛けさせるといった具合だ。
確かに最初はうまくいかなかった。号令につっかえ、今までのテンポがズレ、稽古がしっくり来ないこともあった。しかし、待てるところは待ち、彼ら自信にほんの少し考える時間を与えた。これが功を奏した。(と感じている。)
最近では少年部(小学6年生まで)の稽古でもその気になれば私はほとんど号令を掛けなくても1時間以上の稽古が進められるようになった。
「正座」〜「黙想」〜「準備体操」〜「基本稽古」〜「移動基本」〜「型」〜「受け返しやキックミット」〜「締め」〜「道場訓唱和」、さらに「出席を取る」ところまで少年部だけで号令を掛け、稽古が出来るようになってきた。
自ら号令が掛けられる少年部たちは出席率も非常に高い。試合で入賞する子達も多い。彼ら自身が稽古することに意欲的になってきたように感じるし、号令を掛けるということで、自分が必要とされている実感を感じてくれているのだろう。
特に緑帯・茶帯(大体小学5,6年生)は私の話しをよく理解してくれて、本当に頼もしい限りだ。
近い将来彼らが黒帯を締めてくれることを願っている。
入門動機の多くは親が考える「礼儀を教えたい。」「挨拶のできる子にしたい。」「体力を付けたい。」などである。
5,6歳から9歳くらいまでの入門が多く、本人たちに入門動機は無い。
そうなると当たり前だが、自主トレなどのように「自分で稽古する」などということはほとんど見られない。例え、審査会や試合などの目標があったとしてもその場しのぎの稽古で終わってしまう。
こうなると、野球やサッカーなど普段目にするスポーツに目移りしてしまい、「辞めたい・・・」となる。
カラテ道場はそのほとんどが「上」から「下」への稽古指導である。もちろん幼年部や少年部をお預かりしているわけであるので当然指導はしなければならない。しかし、「受け身だけの稽古」では彼ら自信の心の成長が見られるはずは無い。だから途中で「辞めたい。」となるのだ。
さてそこで考えた。
彼ら自信に自ら稽古する機会を与えてやることは出来ないだろうか?
受け身の稽古ではなく、自らのやる気を形にしてはやれないだろうか?
結果、「指導を任せる」という方法をとることにしてみた。
南道場では以前からこれに近い形はとっていた。
例えば、オレンジ帯なら「単一技の号令を掛けられる」、「自分の覚えた『型』の号令は掛けられる」、青帯なら「複数技の号令を掛けられる」と言うような形だ。
しかし、これだけでは先生の受け売りだけで終わってしまうので、さらに一歩進める必要があると感じた。
具体的にいうと、緑帯に「準備体操〜基本稽古」までの号令を掛けさせる。その後、茶帯に「キックミット」や「受け返し」などの号令を掛けさせるといった具合だ。
確かに最初はうまくいかなかった。号令につっかえ、今までのテンポがズレ、稽古がしっくり来ないこともあった。しかし、待てるところは待ち、彼ら自信にほんの少し考える時間を与えた。これが功を奏した。(と感じている。)
最近では少年部(小学6年生まで)の稽古でもその気になれば私はほとんど号令を掛けなくても1時間以上の稽古が進められるようになった。
「正座」〜「黙想」〜「準備体操」〜「基本稽古」〜「移動基本」〜「型」〜「受け返しやキックミット」〜「締め」〜「道場訓唱和」、さらに「出席を取る」ところまで少年部だけで号令を掛け、稽古が出来るようになってきた。
自ら号令が掛けられる少年部たちは出席率も非常に高い。試合で入賞する子達も多い。彼ら自身が稽古することに意欲的になってきたように感じるし、号令を掛けるということで、自分が必要とされている実感を感じてくれているのだろう。
特に緑帯・茶帯(大体小学5,6年生)は私の話しをよく理解してくれて、本当に頼もしい限りだ。
近い将来彼らが黒帯を締めてくれることを願っている。
中学1年の道場生の話。
学校で腕を骨折してきた。
その日、骨折したにもかかわらず、腕を吊ったまま稽古を見学に来た。次の日、今度は腕を吊ったまま道着に着替えて稽古に参加した。「出来ることだけでもやります。」との事。
半年前の彼なら「怪我をしたので稽古を休みます。」といってきたであろう。しかし、ここのところ前向きな強い気持ちが芽生えてきたような感じを受けていた。そして今回の出来事である。間違いなく彼の気持ちは強く成長してきている。
彼の気持ちを強くさせたきっかけは何なのだろうか?
確かに指導中には「怪我をしても出来ることがあるはずだ。腕を怪我しても足がある。足を怪我しても腕がある。大きな事故にでもあって全身打撲にでもならない限り、稽古は続けられる」というような話は何度もしてきた。しかし、そんな話を聞くだけでは実際にはなかなか行動には移せないと思う。
では、なぜ??
私が考えるに、彼の気持ちを変えさせたのは「道場での仲間との繋がり」ではないだろうか。
中学生になり、他の仲間と道場の運営などを手助けしてくれるようになったこともその要因だろう。例えば、自分の出ない試合には、出る選手の相手となって稽古に参加するし、また試合当日はスタッフとして動いたりも出来るようになってくれた。反対に自分が出るときは仲間に応援を受けながら一生懸命稽古した。そんな仲間との繋がりが「みんながんばって稽古しているんだ。こんなことくらいで休むわけにはいかない。」という気持ちに変わったのではないだろうか。
仲間がいて自分の居場所がそこにあれば、それをきっかけに強くなれる。少なくとも極真の道場はそういった場所だ。彼の姿を見た誰かがそこからまた何かを学んでくれればさらに嬉しい。
学校で腕を骨折してきた。
その日、骨折したにもかかわらず、腕を吊ったまま稽古を見学に来た。次の日、今度は腕を吊ったまま道着に着替えて稽古に参加した。「出来ることだけでもやります。」との事。
半年前の彼なら「怪我をしたので稽古を休みます。」といってきたであろう。しかし、ここのところ前向きな強い気持ちが芽生えてきたような感じを受けていた。そして今回の出来事である。間違いなく彼の気持ちは強く成長してきている。
彼の気持ちを強くさせたきっかけは何なのだろうか?
確かに指導中には「怪我をしても出来ることがあるはずだ。腕を怪我しても足がある。足を怪我しても腕がある。大きな事故にでもあって全身打撲にでもならない限り、稽古は続けられる」というような話は何度もしてきた。しかし、そんな話を聞くだけでは実際にはなかなか行動には移せないと思う。
では、なぜ??
私が考えるに、彼の気持ちを変えさせたのは「道場での仲間との繋がり」ではないだろうか。
中学生になり、他の仲間と道場の運営などを手助けしてくれるようになったこともその要因だろう。例えば、自分の出ない試合には、出る選手の相手となって稽古に参加するし、また試合当日はスタッフとして動いたりも出来るようになってくれた。反対に自分が出るときは仲間に応援を受けながら一生懸命稽古した。そんな仲間との繋がりが「みんながんばって稽古しているんだ。こんなことくらいで休むわけにはいかない。」という気持ちに変わったのではないだろうか。
仲間がいて自分の居場所がそこにあれば、それをきっかけに強くなれる。少なくとも極真の道場はそういった場所だ。彼の姿を見た誰かがそこからまた何かを学んでくれればさらに嬉しい。
大石代悟主席師範の特集が「月刊雑誌・フルコンタクトカラテ」に掲載された。
年に一回くらいのペースだが主席師範の特集が掲載される。当然、その時は必ず購入する。
さかのぼること30年前。第一回世界大会の後、講談社から世界大会の特集が組まれた写真集が発売された。「一撃必殺・空手いのち」。今となってはプレミア物だ。値段は当時の金額で1400円。内容は世界大会の試合の模様や入賞選手のインタビュー、大会を支える裏方さんの様子など興味深いものだった。
もちろん、入賞者の中には我らが「大石代悟主席師範」の姿もあった。痩身のスマートな体格の師範がムチのようにしなる廻し蹴りを武器に四位入賞、「かっこいいな!」と憧れた。小学生の私には高い買い物であったが何とか小遣いを貯めて手に入れた。自分のほしいものを自分の力で手に入れたのだから当然端から端まで読み、何度も何度も読み返した。そして、極真カラテに憧れた。「厳しいだろうな、でもやってみたいな!」そんな思いが結果として「カラテ」を長く続けるきっかけとなったような気がする。
今の時代は情報過多。何を取捨選択するのか、選んだものが本当に正しいのかどうなのか、判断するのは自分自身。しかし、まず選び取るという最初の一歩を踏み出さなければ何も始まらない。少なくとも大石道場生は主席師範が何を考え、どういった方向性なのかを知る良い機会だ。だからこそ少年部の保護者も含めて大石道場関係者全員に購入してほしい。
年に一回くらいのペースだが主席師範の特集が掲載される。当然、その時は必ず購入する。
さかのぼること30年前。第一回世界大会の後、講談社から世界大会の特集が組まれた写真集が発売された。「一撃必殺・空手いのち」。今となってはプレミア物だ。値段は当時の金額で1400円。内容は世界大会の試合の模様や入賞選手のインタビュー、大会を支える裏方さんの様子など興味深いものだった。
もちろん、入賞者の中には我らが「大石代悟主席師範」の姿もあった。痩身のスマートな体格の師範がムチのようにしなる廻し蹴りを武器に四位入賞、「かっこいいな!」と憧れた。小学生の私には高い買い物であったが何とか小遣いを貯めて手に入れた。自分のほしいものを自分の力で手に入れたのだから当然端から端まで読み、何度も何度も読み返した。そして、極真カラテに憧れた。「厳しいだろうな、でもやってみたいな!」そんな思いが結果として「カラテ」を長く続けるきっかけとなったような気がする。
今の時代は情報過多。何を取捨選択するのか、選んだものが本当に正しいのかどうなのか、判断するのは自分自身。しかし、まず選び取るという最初の一歩を踏み出さなければ何も始まらない。少なくとも大石道場生は主席師範が何を考え、どういった方向性なのかを知る良い機会だ。だからこそ少年部の保護者も含めて大石道場関係者全員に購入してほしい。
今日、岐阜で大会が行われた。静岡からは15名ほどの選手が参加した。
その中でのある決勝戦。
一方は身長150cm、体重は40kgくらい。もう一方は身長165cm、体重80kgくらい。(どちらも見た目だけで判断したので間違っていれば申し訳ない。)
さて結果は身体の小さい子がなんと技ありを奪って優勢勝ちを収めた。
万が一、身体の小さい子が負けていたとしても「体格差があったから仕方ないね。」と言い訳が出来たはずだ。
しかし、その子もその子の親もそれを言い訳にしたくはなかったのだろう、最初から勝つ気で試合に臨んだ。
試合の序盤からその姿勢が伺える積極的な試合運びであった。
相手に打たれても、蹴られても、物ともせず前に出続け、突きの連打を打ちまくり、回り込み、下段から中段と蹴りを繰り出し、相手を翻弄し見事上段廻し蹴りをヒットさせ、技ありの判定勝ちであった。
どの大会でも体格差を言い訳にしている親子の会話を耳にする。しかし、極真カラテは無差別の試合が基本だ。出るからには覚悟を決め取り組む必要がある。その中で、不利な状況からでも自分が勝ち残る術を見つけなければならない。これこそが極真魂である。ちょっとした相手の反則や体格差を負けた言い訳にせず自らを鍛えてほしい。
その中でのある決勝戦。
一方は身長150cm、体重は40kgくらい。もう一方は身長165cm、体重80kgくらい。(どちらも見た目だけで判断したので間違っていれば申し訳ない。)
さて結果は身体の小さい子がなんと技ありを奪って優勢勝ちを収めた。
万が一、身体の小さい子が負けていたとしても「体格差があったから仕方ないね。」と言い訳が出来たはずだ。
しかし、その子もその子の親もそれを言い訳にしたくはなかったのだろう、最初から勝つ気で試合に臨んだ。
試合の序盤からその姿勢が伺える積極的な試合運びであった。
相手に打たれても、蹴られても、物ともせず前に出続け、突きの連打を打ちまくり、回り込み、下段から中段と蹴りを繰り出し、相手を翻弄し見事上段廻し蹴りをヒットさせ、技ありの判定勝ちであった。
どの大会でも体格差を言い訳にしている親子の会話を耳にする。しかし、極真カラテは無差別の試合が基本だ。出るからには覚悟を決め取り組む必要がある。その中で、不利な状況からでも自分が勝ち残る術を見つけなければならない。これこそが極真魂である。ちょっとした相手の反則や体格差を負けた言い訳にせず自らを鍛えてほしい。
エコパ大会の反省会を行った。
いつもは試合出場者だけで「壮行会」を行うのだが、他の行事予定がいっぱいだったので試合後の反省会として、出場者本人だけではなく、その保護者も交えての会とした。普段私が考えている「道場のあり方・方向性・大事なこと」などを話しながら、保護者の方々からも意見をいただいた。
いくつかの話を紹介しよう。
1、 我々と同世代の親御さんの中には「最強・極真」のイメージを持ってお子さんを預けていただいている方もたくさんおられた。こういったお父さん方は「稽古はもっと厳しくてもいい!」くらいに考えられているようだ。「『強さの極真』なのだからもっと組手をやってください。」とか「稽古前の雰囲気はもっと昔のピーンと張り詰めた感じにお願いします。」など、「昔やってたんじゃない??」と思われるような発言も飛び出し心強かった。
2、 「カラテ」は厳しく大変だと噂で聞き、そう思っていたお母さん。お子さんに「悪いことをしたり、ふざけてばかりいると『カラテ』に通わせるわよ」と言っていたそうだ。しばらくはその言葉も力を発揮していたそうだが、あるとき、その言葉も効き目が無いくらいの悪さをしたらしい。結局、首根っこを捕まれイヤイヤ道場へ入門させられた、当時の小学4年、現在の6年生。その後、彼のやんちゃ振りが少し治まり日常の生活態度にも変化が見られてきたそうだ。今では稽古回数も増え、試合にも積極的に参加してくれている。きっと持て余した体力と気持ちのはけ口をどこに見つけていいのか分からなかったのではないだろうか。
3、 試合の最中、相手の反則(掴み)を審判に取ってもらえず負けた子供にどう説明していいか分からないお父さん。こちらは正々堂々とルールを守っているのに「悔しい」と言われていた。「極真」は強くなくてはならない。そのためにはちょっとした掴み程度で自分の組手が出来なくなるようではまだまだ。その程度の反則など物ともしない強い体力・技術・精神力を身に付けるように話した。子供も同席していたので私の説明を理解してくれたと思っている。(ただ、しっかり反則を取れなかった審判は力不足であることは間違いないので、運営側としては今後の反省材料となった。)
4、 このところ稽古参加を渋っていると言う小学5年生の話。入門2年半なので「カラテ」そのものに飽きが来ていることは否めない。さらに、友達が違う何かを始めようものなら、新しい物に興味が向き長く続けている「カラテ」に対する興味が減退するのは仕方ないだろう。ましてや「カラテ」は厳しい、組手も大変、となればさらにだ。 「カラテ」の場合こういうことはよくある。サッカーや野球などの球技、またはそれ以外のスポーツではこういったことは少ないのだが、なぜか? これには理由がある。もっとも大きな理由は「武道」としての窮屈さがあるからだろう。正座から始まって、基本稽古、移動稽古、型など決められた動作の繰り返し、ひたすら空間を突き、蹴るだけの稽古。おまけに痛い思いをする組手、立振舞にも注意されるし、号令のかけ方まで覚えなくてはならないし、後輩の面倒も見なければならない。こうなっては、大変、大変、大変・・・辞めようかな???となる訳だ。しかし、その中から「真の強さ」を身に付けられるのが「カラテ」であり「極真」なのだ。保護者のバックアップがあってこそ乗り越えられるだろうし、親子で反省会へ出てくれただけでもその親の思いが子供に伝わっているだろう。どうか辞めずに続けてほしい。
5、 クラスで一番足の速い1年生。親は「何か始めさせたい」と思っていたところ、知人から「極真(静岡南道場)」を勧められたそうだ。「雨が降っても、寒くても、○○曜日に稽古に行くと決め事を作って、継続して取り組んでください。」と記した南道場の入門案内を読み、「これだ」と納得して入門してくれた。入門後は何にでも積極的に取り組み「入門2ヶ月で試合に挑戦」となったが無我夢中で試合終了、敗戦。その後、2度目の試合にも挑戦し、徐々に、今になって親がやっと「極真カラテ」を理解しつつあると言ってくれた。(ちなみに道場を勧めてくれたのは二家族で、この二家族はともに試合で優勝をする子を持つ強いお家であり、今から考えると恐れ多かった・・・らしい。)
6、 幼稚園・年中のときに入門。現在3年生。入門当時は泣き泣き稽古に通っていたが仲の良い友達も誘って、何とか今まで通い続けている。入門5年目にして始めて試合出場。泣き虫の彼を見て「試合大変だろうなぁ」と思っていた。確かに試合では良い成績は残せなかった。しかし、試合用稽古に取り組んで彼の潜在的な力に気付かされた。キックミット連打競争をしても、ターンダッシュ競争をしても結構速い。遅いか速いかどちらかに分けるなら速いほうだ。今まで取り組まなかったことが勿体なく思われる。親が「出来ないだろう」と決め付けて何もさせないのは罪だし、時には無理強いをしても背中を押してやる勇気が必要だ。子供には親にも気付かない能力が隠されている。私も指導者としてもっと早くそこに気が付かなかったのだから失格か?しかし、今回のことで今まで以上に子供たちに目を配る必要を感じた。そして、この反省会でその話が出来ただけでも良しとしたい。
7、 兄弟で稽古に取り組んでいるうちの一人。学年では体格が小さく組手ではなかなか勝てないので、エコパの試合は「型」に挑戦した。稽古の甲斐あって初めての入賞。他の兄弟が刺激を受け負けじと稽古に励むようになった。雨の中でも自ら稽古に参加する自主性も出てきたようだ。兄弟で取り組む良さが出ている。しかし、気を付けなければならないのは誰かが「止める」と言い出したとき、他の誰かも「止める」と言い出しかねないことだ。兄弟が切磋琢磨して競い合い、助け合いながら成長していってほしい。また、同じ学校の友達だけでなく違う学校の友達が出来、稽古に来ることが楽しいとも言ってくれている。兄弟、友人、先輩、後輩、学年も違う多岐に渡る人との関わりが道場としての良さでもある。これからも精神的に揉まれていってほしい。
8、 ほぼ毎日稽古に来ている小学3年生のお父さん。「毎日稽古に通わせているが慣れっこになって集中力が欠けてきているように感じるがどうでしょう?」とのこと。私が見ている限り彼の集中力は落ちていない。もちろん、小学3年生なりの集中力欠如は時にはあるが、それでも他のみんなに比べるといつも集中し稽古している。この調子でいけば来春の審査を目指せると思う。入門5年目、年中さんからのカラテ歴でいよいよ緑帯になれるか?
いつもは試合出場者だけで「壮行会」を行うのだが、他の行事予定がいっぱいだったので試合後の反省会として、出場者本人だけではなく、その保護者も交えての会とした。普段私が考えている「道場のあり方・方向性・大事なこと」などを話しながら、保護者の方々からも意見をいただいた。
いくつかの話を紹介しよう。
1、 我々と同世代の親御さんの中には「最強・極真」のイメージを持ってお子さんを預けていただいている方もたくさんおられた。こういったお父さん方は「稽古はもっと厳しくてもいい!」くらいに考えられているようだ。「『強さの極真』なのだからもっと組手をやってください。」とか「稽古前の雰囲気はもっと昔のピーンと張り詰めた感じにお願いします。」など、「昔やってたんじゃない??」と思われるような発言も飛び出し心強かった。
2、 「カラテ」は厳しく大変だと噂で聞き、そう思っていたお母さん。お子さんに「悪いことをしたり、ふざけてばかりいると『カラテ』に通わせるわよ」と言っていたそうだ。しばらくはその言葉も力を発揮していたそうだが、あるとき、その言葉も効き目が無いくらいの悪さをしたらしい。結局、首根っこを捕まれイヤイヤ道場へ入門させられた、当時の小学4年、現在の6年生。その後、彼のやんちゃ振りが少し治まり日常の生活態度にも変化が見られてきたそうだ。今では稽古回数も増え、試合にも積極的に参加してくれている。きっと持て余した体力と気持ちのはけ口をどこに見つけていいのか分からなかったのではないだろうか。
3、 試合の最中、相手の反則(掴み)を審判に取ってもらえず負けた子供にどう説明していいか分からないお父さん。こちらは正々堂々とルールを守っているのに「悔しい」と言われていた。「極真」は強くなくてはならない。そのためにはちょっとした掴み程度で自分の組手が出来なくなるようではまだまだ。その程度の反則など物ともしない強い体力・技術・精神力を身に付けるように話した。子供も同席していたので私の説明を理解してくれたと思っている。(ただ、しっかり反則を取れなかった審判は力不足であることは間違いないので、運営側としては今後の反省材料となった。)
4、 このところ稽古参加を渋っていると言う小学5年生の話。入門2年半なので「カラテ」そのものに飽きが来ていることは否めない。さらに、友達が違う何かを始めようものなら、新しい物に興味が向き長く続けている「カラテ」に対する興味が減退するのは仕方ないだろう。ましてや「カラテ」は厳しい、組手も大変、となればさらにだ。 「カラテ」の場合こういうことはよくある。サッカーや野球などの球技、またはそれ以外のスポーツではこういったことは少ないのだが、なぜか? これには理由がある。もっとも大きな理由は「武道」としての窮屈さがあるからだろう。正座から始まって、基本稽古、移動稽古、型など決められた動作の繰り返し、ひたすら空間を突き、蹴るだけの稽古。おまけに痛い思いをする組手、立振舞にも注意されるし、号令のかけ方まで覚えなくてはならないし、後輩の面倒も見なければならない。こうなっては、大変、大変、大変・・・辞めようかな???となる訳だ。しかし、その中から「真の強さ」を身に付けられるのが「カラテ」であり「極真」なのだ。保護者のバックアップがあってこそ乗り越えられるだろうし、親子で反省会へ出てくれただけでもその親の思いが子供に伝わっているだろう。どうか辞めずに続けてほしい。
5、 クラスで一番足の速い1年生。親は「何か始めさせたい」と思っていたところ、知人から「極真(静岡南道場)」を勧められたそうだ。「雨が降っても、寒くても、○○曜日に稽古に行くと決め事を作って、継続して取り組んでください。」と記した南道場の入門案内を読み、「これだ」と納得して入門してくれた。入門後は何にでも積極的に取り組み「入門2ヶ月で試合に挑戦」となったが無我夢中で試合終了、敗戦。その後、2度目の試合にも挑戦し、徐々に、今になって親がやっと「極真カラテ」を理解しつつあると言ってくれた。(ちなみに道場を勧めてくれたのは二家族で、この二家族はともに試合で優勝をする子を持つ強いお家であり、今から考えると恐れ多かった・・・らしい。)
6、 幼稚園・年中のときに入門。現在3年生。入門当時は泣き泣き稽古に通っていたが仲の良い友達も誘って、何とか今まで通い続けている。入門5年目にして始めて試合出場。泣き虫の彼を見て「試合大変だろうなぁ」と思っていた。確かに試合では良い成績は残せなかった。しかし、試合用稽古に取り組んで彼の潜在的な力に気付かされた。キックミット連打競争をしても、ターンダッシュ競争をしても結構速い。遅いか速いかどちらかに分けるなら速いほうだ。今まで取り組まなかったことが勿体なく思われる。親が「出来ないだろう」と決め付けて何もさせないのは罪だし、時には無理強いをしても背中を押してやる勇気が必要だ。子供には親にも気付かない能力が隠されている。私も指導者としてもっと早くそこに気が付かなかったのだから失格か?しかし、今回のことで今まで以上に子供たちに目を配る必要を感じた。そして、この反省会でその話が出来ただけでも良しとしたい。
7、 兄弟で稽古に取り組んでいるうちの一人。学年では体格が小さく組手ではなかなか勝てないので、エコパの試合は「型」に挑戦した。稽古の甲斐あって初めての入賞。他の兄弟が刺激を受け負けじと稽古に励むようになった。雨の中でも自ら稽古に参加する自主性も出てきたようだ。兄弟で取り組む良さが出ている。しかし、気を付けなければならないのは誰かが「止める」と言い出したとき、他の誰かも「止める」と言い出しかねないことだ。兄弟が切磋琢磨して競い合い、助け合いながら成長していってほしい。また、同じ学校の友達だけでなく違う学校の友達が出来、稽古に来ることが楽しいとも言ってくれている。兄弟、友人、先輩、後輩、学年も違う多岐に渡る人との関わりが道場としての良さでもある。これからも精神的に揉まれていってほしい。
8、 ほぼ毎日稽古に来ている小学3年生のお父さん。「毎日稽古に通わせているが慣れっこになって集中力が欠けてきているように感じるがどうでしょう?」とのこと。私が見ている限り彼の集中力は落ちていない。もちろん、小学3年生なりの集中力欠如は時にはあるが、それでも他のみんなに比べるといつも集中し稽古している。この調子でいけば来春の審査を目指せると思う。入門5年目、年中さんからのカラテ歴でいよいよ緑帯になれるか?
全日本大会の翌日には「カラテセミナー」が開催される。
各地区の師範や先生方が集まる良い機会だからだ。
ここ数年は毎年参加しているが、これが大変勉強になる。
今年は「大石代悟主席師範・型セミナー」と「長谷川一幸主席師範・実践技術セミナー」だった。
大石主席師範とは今までに何度も稽古をしているが、今回は久しぶりに主席師範の真ん前で稽古が出来た。久しぶりのため、緊張したテンションの高い稽古となった。いつものことだが驚かされたのは大石主席師範の柔軟性だ。主席師範自身も各地区の先生たちの前で指導するということにモードが切り替わっているのだろう、着替えを終えた途端から、180度開脚して床に胸が付く柔軟性を見せてくださった。我々のほうが若いのに身体が思うように動かず反省させられた。(稽古時間は午前9時30分から)
基本稽古に入った瞬間も技の切れが違う。突き、蹴りともシャープさは抜群だ。特に前蹴りはいつ見ても素晴らしい。「大石代悟・妖刀村正」というと「廻し蹴り」のイメージだが、私は前蹴りのほうが見ていて勉強になると感じている。蹴りこんだ瞬間、中足を返した足先が一瞬止まって見えるのだ。膝下の振りが速く中足に力がこもっているのでそう見えるのだろうか?自分が前蹴りを蹴る時はこの主席師範の前蹴りをイメージしている。(到底程遠いが・・・)
長谷川主席師範との稽古は始めてである。
長谷川主席師範といえば「第2回全日本選手権・覇者」の肩書きを持ち、極真の一時代を築いた大先輩である。その方から直接指導を受ける機会があることは大変光栄なことだ。
今回は「接近戦からの体捌きと突きの打ち方」だった。特に突きでは「鎖骨を狙った突きと鳩尾を狙った突き」を集中的に稽古した。我々は背中を丸め腕力に頼るのだが、長谷川主席師範は腰の回転を腕に伝えて突きを出すため体軸がぶれない。これは本当に勉強になった。(余談だが、長谷川主席師範とは今までにも何度か食事をご一緒させていただいている。名前も覚えていただき、そんな場所で極真の昔話を聞かせていただく機会もあった。)
両主席師範や多くの先生方との稽古はこれからも機会がある限り参加したいと考えている。日々稽古あるのみ。
各地区の師範や先生方が集まる良い機会だからだ。
ここ数年は毎年参加しているが、これが大変勉強になる。
今年は「大石代悟主席師範・型セミナー」と「長谷川一幸主席師範・実践技術セミナー」だった。
大石主席師範とは今までに何度も稽古をしているが、今回は久しぶりに主席師範の真ん前で稽古が出来た。久しぶりのため、緊張したテンションの高い稽古となった。いつものことだが驚かされたのは大石主席師範の柔軟性だ。主席師範自身も各地区の先生たちの前で指導するということにモードが切り替わっているのだろう、着替えを終えた途端から、180度開脚して床に胸が付く柔軟性を見せてくださった。我々のほうが若いのに身体が思うように動かず反省させられた。(稽古時間は午前9時30分から)
基本稽古に入った瞬間も技の切れが違う。突き、蹴りともシャープさは抜群だ。特に前蹴りはいつ見ても素晴らしい。「大石代悟・妖刀村正」というと「廻し蹴り」のイメージだが、私は前蹴りのほうが見ていて勉強になると感じている。蹴りこんだ瞬間、中足を返した足先が一瞬止まって見えるのだ。膝下の振りが速く中足に力がこもっているのでそう見えるのだろうか?自分が前蹴りを蹴る時はこの主席師範の前蹴りをイメージしている。(到底程遠いが・・・)
長谷川主席師範との稽古は始めてである。
長谷川主席師範といえば「第2回全日本選手権・覇者」の肩書きを持ち、極真の一時代を築いた大先輩である。その方から直接指導を受ける機会があることは大変光栄なことだ。
今回は「接近戦からの体捌きと突きの打ち方」だった。特に突きでは「鎖骨を狙った突きと鳩尾を狙った突き」を集中的に稽古した。我々は背中を丸め腕力に頼るのだが、長谷川主席師範は腰の回転を腕に伝えて突きを出すため体軸がぶれない。これは本当に勉強になった。(余談だが、長谷川主席師範とは今までにも何度か食事をご一緒させていただいている。名前も覚えていただき、そんな場所で極真の昔話を聞かせていただく機会もあった。)
両主席師範や多くの先生方との稽古はこれからも機会がある限り参加したいと考えている。日々稽古あるのみ。
| ホーム |
