いったい日本はどうなってしまうのだろう。
少年少女を狙った犯罪があちこちで起こっている。そしてまた京都での事件が起こった。
学校帰りなら防ぎようがあるかもしれないが、塾内での犯行では防ぎようが無い。当然犯人にも怒りを覚えるが、採用企業(塾)にも採用担当者にも責任はあるだろう。そしてやはりその親にも十分責任があると思う。
今、こういった犯罪を起こす人やその家族に、ある傾向がある。
それは、そのほとんどの家庭が子供たちを「困難を避ける」育て方をしているのだ。また、学校もそうなりつつあるのだ。
例えば、学校で友達とけんかをした。道徳的教育として彼らに指導するなら「何が原因か?」「双方の言い分はどうか?」「どちらに非があったのか?」「今後どうすればいいのか?」をじっくり話し合う必要がある。しかし、今の学校は「時間が無い」「試験勉強に関係ない」といってこういう問題を大人の判断で処理してしまう。そうすると子供たちは他人とのけんかや意見のぶつかり合いから生じる問題を解決する能力が養われないまま大人になってしまう。対人関係をうまく築けないのはこういったことがベースになっている。
もっと簡単な例がある。最近の小学生の親は雨が降ると車で送り迎えをするそうだ。そして、こうした家庭が増えているのだ。こうして育てられれば雨の日に傘をさしての外出が億劫になる。簡単に言うと「ストレス」を感じるのだ。こうなると雨の日になんとなくイライラを感じ、そんなときにバスや電車で人と接触した瞬間に「キレル」行動を起こしてしまうのだ。
つまり、親や大人が子供たちから「ストレス」を排除する努力ばかりをしてしまっているからその反動が子供たちに出ているのだ。我々が子供のころはあらゆるものが不便であった。我々の親の世代もそうだ。不便の中で育ったので簡単には「ストレス」を感じない。また、「ストレス」を感じても処理の仕方を体感している。いわゆる「我慢強さ」を身に付けているのだ。
今日本は対処療法だけでなく原因療法を早急に考える必要がある。
日本武道が、極真空手がその一助となるよう努力したい。
少年少女を狙った犯罪があちこちで起こっている。そしてまた京都での事件が起こった。
学校帰りなら防ぎようがあるかもしれないが、塾内での犯行では防ぎようが無い。当然犯人にも怒りを覚えるが、採用企業(塾)にも採用担当者にも責任はあるだろう。そしてやはりその親にも十分責任があると思う。
今、こういった犯罪を起こす人やその家族に、ある傾向がある。
それは、そのほとんどの家庭が子供たちを「困難を避ける」育て方をしているのだ。また、学校もそうなりつつあるのだ。
例えば、学校で友達とけんかをした。道徳的教育として彼らに指導するなら「何が原因か?」「双方の言い分はどうか?」「どちらに非があったのか?」「今後どうすればいいのか?」をじっくり話し合う必要がある。しかし、今の学校は「時間が無い」「試験勉強に関係ない」といってこういう問題を大人の判断で処理してしまう。そうすると子供たちは他人とのけんかや意見のぶつかり合いから生じる問題を解決する能力が養われないまま大人になってしまう。対人関係をうまく築けないのはこういったことがベースになっている。
もっと簡単な例がある。最近の小学生の親は雨が降ると車で送り迎えをするそうだ。そして、こうした家庭が増えているのだ。こうして育てられれば雨の日に傘をさしての外出が億劫になる。簡単に言うと「ストレス」を感じるのだ。こうなると雨の日になんとなくイライラを感じ、そんなときにバスや電車で人と接触した瞬間に「キレル」行動を起こしてしまうのだ。
つまり、親や大人が子供たちから「ストレス」を排除する努力ばかりをしてしまっているからその反動が子供たちに出ているのだ。我々が子供のころはあらゆるものが不便であった。我々の親の世代もそうだ。不便の中で育ったので簡単には「ストレス」を感じない。また、「ストレス」を感じても処理の仕方を体感している。いわゆる「我慢強さ」を身に付けているのだ。
今日本は対処療法だけでなく原因療法を早急に考える必要がある。
日本武道が、極真空手がその一助となるよう努力したい。
明日、冬季審査会が行われる。
今回、静岡南道場は受審者を絞った結果、いつもの半分ほどの人数となった。
確かに一方では「受けてみないと、結果は判らない。まず、受けてみる勇気が必要だ。」との意見もある。
数年前までは、入門後しばらくして帯の順序に気付いた道場生は自分の実力を把握しないまま進んで受審を希望していたが、最近では、目の前にオレンジ帯や青帯がいても何の反応も示さない子供たちが多い気がする。特に最近の少年部は入門しても目標を見つけられないでいるので、とりあえず受審を目標にさせることも必要だろう。
しかし、我々指導員はいい加減な出来の道場生を受審させるわけにはいかないだろう。まして、受審者のほとんどが少年部であれば受けるだけ受けさせて、「結果は保留でした。」では済まされない。年に3回あるうちの1回くらいは受審者を絞って見る必要もあると考える。その結果、今回の審査を見送らねばならなかった道場生は春の審査を目指して以前より熱心に稽古するようになった。これでよかったと思う。
今回、静岡南道場は受審者を絞った結果、いつもの半分ほどの人数となった。
確かに一方では「受けてみないと、結果は判らない。まず、受けてみる勇気が必要だ。」との意見もある。
数年前までは、入門後しばらくして帯の順序に気付いた道場生は自分の実力を把握しないまま進んで受審を希望していたが、最近では、目の前にオレンジ帯や青帯がいても何の反応も示さない子供たちが多い気がする。特に最近の少年部は入門しても目標を見つけられないでいるので、とりあえず受審を目標にさせることも必要だろう。
しかし、我々指導員はいい加減な出来の道場生を受審させるわけにはいかないだろう。まして、受審者のほとんどが少年部であれば受けるだけ受けさせて、「結果は保留でした。」では済まされない。年に3回あるうちの1回くらいは受審者を絞って見る必要もあると考える。その結果、今回の審査を見送らねばならなかった道場生は春の審査を目指して以前より熱心に稽古するようになった。これでよかったと思う。
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