先日、昔の仲間と飲む機会があった。極真で二段までとった仲間だ。今は空手は続けてはいない。少し残念に感じたのだが話しを聞いて驚いた。空手から離れて、しばらくして身体を動かしたくなった彼はランニングを始めたのだ。ここまでは想像が付くがその後が凄い。ただ運動不足解消のための身体を動かすランニングが高じて、現在はハーフマラソンを走るまでの立派なアスリートに変貌していた。
当然ハーフマラソンといえば約20kmの距離を走らなければならない。先日記したが私も定期的に走っている。しかし、その距離と言えば5〜6kmが精一杯。正直へとへとになる。そこから考えると20kmは想像を絶する距離に思えてくる。もともと、現役時代からスタミナには定評のあった彼だがそこまでの復活を果たしているとは。素晴らしい。そんな仲間に刺激され自分自身のトレーニング量が増やせるかどうかは私自身の心の問題だ。頑張ろう。押忍
当然ハーフマラソンといえば約20kmの距離を走らなければならない。先日記したが私も定期的に走っている。しかし、その距離と言えば5〜6kmが精一杯。正直へとへとになる。そこから考えると20kmは想像を絶する距離に思えてくる。もともと、現役時代からスタミナには定評のあった彼だがそこまでの復活を果たしているとは。素晴らしい。そんな仲間に刺激され自分自身のトレーニング量が増やせるかどうかは私自身の心の問題だ。頑張ろう。押忍
2月25日、19:00〜20:00、親子稽古を行った。
南道場としては約3年ぶりだ。以前は6月と12月に定期的に行っていたが正直参加者が減ってきてしまっていた。しかし、子供たちは審査会や試合に向けて稽古し、努力している。この姿を出来るだけ正確に伝えるためには「親子稽古」しかないと感じたからだ。
参加者を募ってみるとなんと約40家族が申し込んでくれた。ざっと80名の参加者だ。当道場は稽古スペース38坪。不安だったが場所を変えるのも、時間変更するのも、いくつかに分けるのも止めて、思い切って全家族一同に稽古してもらった。
簡単な準備運動(といっても保護者の方は柔軟にはてこずっていた)の後、基本を少し、補強を少し、メインはキックミットの内容だ。
キックミットは1本の蹴りから徐々に増やし、3本連蹴りや、突き蹴りの組み合わせコンビネーション、回転後ろ蹴りなど複雑なものなど。
いつもお子さんに「稽古に行きなさい。」とか「あきらめずに頑張れ。」と言っている親御さんは逆に大変な思いをしていたようだった。簡単そうに見えるが回転後ろ蹴りなどは経験の無いものには「どっちに回って、どう蹴るの?」といった感じになっていたようだ。稽古後、あるお母さんが「いつも『もっとしっかり、頑張りなさい』と言ってましたが、やってみると大変でした。子供の努力と苦労が判りました。」と言っていた。良い経験をしていただけたのではないだろうか。
稽古終了後、こんな話をした。
「稽古終了が遅くなるので、稽古後の親睦会は子供は不参加でお願いしますと言われたご家庭がありましたが、お子さんの何かを変えたかったら少し時間が遅い位のことはあまり気にせず、お子さんに刺激を与えてあげてください。ディズニーランドへは時間が遅くても遊びに行けるのに、何かを学び取れると感じている空手の稽古に参加できないのはなぜですか?」
「幼年部は空手の稽古のあくまでも取っ掛かりです。それをきっかけに、少年部を経験し、さらに一般部の稽古に参加して初めて本当の空手、極真空手を学べると理解してください。」
「何年も掛けて身に付けるのが空手の稽古であり武道の本質、オレンジ帯や青帯で見切りを付けず、緑帯までは頑張って取得してください。」など。
普段、考えている取り組み方についての話をさせていただいた。
これをきっかけに武道の本質を理解して頂き、さらに精進していただければ幸いだ。
それにしても、何人かのお父さんは「おっ!やるな!」と言った動きを披露してくれた。是非、入門していただきたい。押忍
南道場としては約3年ぶりだ。以前は6月と12月に定期的に行っていたが正直参加者が減ってきてしまっていた。しかし、子供たちは審査会や試合に向けて稽古し、努力している。この姿を出来るだけ正確に伝えるためには「親子稽古」しかないと感じたからだ。
参加者を募ってみるとなんと約40家族が申し込んでくれた。ざっと80名の参加者だ。当道場は稽古スペース38坪。不安だったが場所を変えるのも、時間変更するのも、いくつかに分けるのも止めて、思い切って全家族一同に稽古してもらった。
簡単な準備運動(といっても保護者の方は柔軟にはてこずっていた)の後、基本を少し、補強を少し、メインはキックミットの内容だ。
キックミットは1本の蹴りから徐々に増やし、3本連蹴りや、突き蹴りの組み合わせコンビネーション、回転後ろ蹴りなど複雑なものなど。
いつもお子さんに「稽古に行きなさい。」とか「あきらめずに頑張れ。」と言っている親御さんは逆に大変な思いをしていたようだった。簡単そうに見えるが回転後ろ蹴りなどは経験の無いものには「どっちに回って、どう蹴るの?」といった感じになっていたようだ。稽古後、あるお母さんが「いつも『もっとしっかり、頑張りなさい』と言ってましたが、やってみると大変でした。子供の努力と苦労が判りました。」と言っていた。良い経験をしていただけたのではないだろうか。
稽古終了後、こんな話をした。
「稽古終了が遅くなるので、稽古後の親睦会は子供は不参加でお願いしますと言われたご家庭がありましたが、お子さんの何かを変えたかったら少し時間が遅い位のことはあまり気にせず、お子さんに刺激を与えてあげてください。ディズニーランドへは時間が遅くても遊びに行けるのに、何かを学び取れると感じている空手の稽古に参加できないのはなぜですか?」
「幼年部は空手の稽古のあくまでも取っ掛かりです。それをきっかけに、少年部を経験し、さらに一般部の稽古に参加して初めて本当の空手、極真空手を学べると理解してください。」
「何年も掛けて身に付けるのが空手の稽古であり武道の本質、オレンジ帯や青帯で見切りを付けず、緑帯までは頑張って取得してください。」など。
普段、考えている取り組み方についての話をさせていただいた。
これをきっかけに武道の本質を理解して頂き、さらに精進していただければ幸いだ。
それにしても、何人かのお父さんは「おっ!やるな!」と言った動きを披露してくれた。是非、入門していただきたい。押忍
一所懸命山に登る。やっとの思いで頂上に到達。しばらくして、気持ちが落ち着くと周りの景色がよく見える。「あぁ、あそこにあんな建物があったんだ。」、「なるほど、あそこの道はここにつながっていたのか。」など。景色も見ずに降りてくる人はいないだろう。
よく何かに向けて努力している途中の苦労を山登りに例えることがある。
「極真」の黒帯もそうだ。白帯から初めて、黄、緑、茶と進んでいく。徐々に山に登っているのだ。そして、苦労の末、黒帯を手にする。
やっとの思いで頂上に到達したわけだが、ここで区切りだと思って道場から足が遠のくと、黒帯としての本当の景色は見えない。
黒帯を手にした後しばらくの間は手にする前と同じように淡々と稽古に通うことが大切だ。そうしている間に徐々に景色が見えてくる。そして、必ず良い景色が見えてくる。そうしたとき初めて、本当に「続けてきて良かった。」と実感するはずだ。
黒帯を手にしてからが大切なのはそういったことだと思う。
よく何かに向けて努力している途中の苦労を山登りに例えることがある。
「極真」の黒帯もそうだ。白帯から初めて、黄、緑、茶と進んでいく。徐々に山に登っているのだ。そして、苦労の末、黒帯を手にする。
やっとの思いで頂上に到達したわけだが、ここで区切りだと思って道場から足が遠のくと、黒帯としての本当の景色は見えない。
黒帯を手にした後しばらくの間は手にする前と同じように淡々と稽古に通うことが大切だ。そうしている間に徐々に景色が見えてくる。そして、必ず良い景色が見えてくる。そうしたとき初めて、本当に「続けてきて良かった。」と実感するはずだ。
黒帯を手にしてからが大切なのはそういったことだと思う。
我々、極真空手に取り組む人間の間では、よく「極真精神」という言葉を使う。
厳しい稽古に打ち勝ち、強い精神力を身に付けられるように努力することを「極真精神」という言葉で言い表している。
しかし、我々、指導者と呼ばれている者たちは本当にこの言葉を体現できているのであろうか?
というのも、昨年、ロシア遠征の際、体力作りのために通った「ジム」がある。今も定期的に通い、自分自身の体調管理をしているのだが、ここに通ってきている方々の頑張っていること。
ほぼ毎日通ってくる、50代、男性。ランニングマシンでほぼ1時間、汗を流す。距離にして約10kmくらいだろうか。その後、ウエイトトレーニングを行い、柔軟と合わせて約2時間弱のメニューをこなす。
同じく、20代女性。自転車に1時間、ウォーキングマシンに1時間とたっぷり汗を流している。エアロビに精を出す50代女性も2時間近く動き回る。
私はというと、通い始めた頃は2kmのランニングで息は上がり、補強と合わせても1時間もかからず自主稽古が終わってしまっていた。(私自身がここでこんな話をするのも情けなく、恥をさらしているのだが・・・。ちなみに、今は、もっと量が増えたが。)
もちろん、夜にも稽古・指導するので全くこれだけの稽古で終わっていたわけではないのだが、それにしても、本当に「極真精神」を体現出来ていたかというと甚だ疑問だ。
確かに、1時間ランニング出来るからといって組手が強い訳ではない。我々のほうが、組手が強いに決まっている。競技特性があるのだから当たり前だ。組手の強さだけで見るとそうなる。しかし、「努力する」とか、「○○し続ける」、という精神的な部分で見ると、ジムに通っているごく普通の人たちの中には、我々が学ばなければならないくらい頑張っている人がたくさんいる。
我々、「極真」の指導者は日々精進し、いつ如何なるときも抜かざる刀を研ぎ続ける必要がある。多くの黒帯の皆さんはそういったことは無いのだろうが、もし、そういった方がいたなら、自分自身も含め多くの黒帯に猛省を促したい。「極真精神」の体現のためにも。
厳しい稽古に打ち勝ち、強い精神力を身に付けられるように努力することを「極真精神」という言葉で言い表している。
しかし、我々、指導者と呼ばれている者たちは本当にこの言葉を体現できているのであろうか?
というのも、昨年、ロシア遠征の際、体力作りのために通った「ジム」がある。今も定期的に通い、自分自身の体調管理をしているのだが、ここに通ってきている方々の頑張っていること。
ほぼ毎日通ってくる、50代、男性。ランニングマシンでほぼ1時間、汗を流す。距離にして約10kmくらいだろうか。その後、ウエイトトレーニングを行い、柔軟と合わせて約2時間弱のメニューをこなす。
同じく、20代女性。自転車に1時間、ウォーキングマシンに1時間とたっぷり汗を流している。エアロビに精を出す50代女性も2時間近く動き回る。
私はというと、通い始めた頃は2kmのランニングで息は上がり、補強と合わせても1時間もかからず自主稽古が終わってしまっていた。(私自身がここでこんな話をするのも情けなく、恥をさらしているのだが・・・。ちなみに、今は、もっと量が増えたが。)
もちろん、夜にも稽古・指導するので全くこれだけの稽古で終わっていたわけではないのだが、それにしても、本当に「極真精神」を体現出来ていたかというと甚だ疑問だ。
確かに、1時間ランニング出来るからといって組手が強い訳ではない。我々のほうが、組手が強いに決まっている。競技特性があるのだから当たり前だ。組手の強さだけで見るとそうなる。しかし、「努力する」とか、「○○し続ける」、という精神的な部分で見ると、ジムに通っているごく普通の人たちの中には、我々が学ばなければならないくらい頑張っている人がたくさんいる。
我々、「極真」の指導者は日々精進し、いつ如何なるときも抜かざる刀を研ぎ続ける必要がある。多くの黒帯の皆さんはそういったことは無いのだろうが、もし、そういった方がいたなら、自分自身も含め多くの黒帯に猛省を促したい。「極真精神」の体現のためにも。
例えば「ケンケン」競争をする。運動神経が少し鈍いと「早く進もう」と気が急いて何度も足を床に付き「ケンケン」になっていない場合がある。一生懸命行って、早く進もうとしてこうなるのは仕方ないが、中には自分自身が上手く「ケンケン」が出来ないのを判っていてわざと足を付きながら前に進んでしまう子がいる。
こういった場面を流してしまってはいけない。これを流してしまうといつまでたっても何も上達しない。
こういった場合は最初から最後まで足を付かないように付きっきりで再度行うように厳しく、強い語調で、しかし、じっくりと指導する。本人は「出来ない」と思っているので「半ベソ」になるが強い語調で言われるので「これは逃げられない。やらざるをえない。」と感じ、足を付けずに最後まで頑張ろうとする。結果、最後まで足を付かずに出来るようになる。
厳しく注意されて出来るようになるのだ。
最近の親や先生は厳しい注意をしなくなったと聞く。子供をかわいそうに思うのだろうか?
本当にかわいそうなのは何も出来ないままに大きくしてしまうことだ。厳しく注意され、我慢の末、努力の末に出来るようになったという実感を子供たちに教えてやらなければならない。
特に、最近入門する若い人や保護者の中にはその辺が理解できていないように感じる方が多い。だからこそいかにしてそういった部分を伝えていくかが我々指導者の悩みでもある。
こういった場面を流してしまってはいけない。これを流してしまうといつまでたっても何も上達しない。
こういった場合は最初から最後まで足を付かないように付きっきりで再度行うように厳しく、強い語調で、しかし、じっくりと指導する。本人は「出来ない」と思っているので「半ベソ」になるが強い語調で言われるので「これは逃げられない。やらざるをえない。」と感じ、足を付けずに最後まで頑張ろうとする。結果、最後まで足を付かずに出来るようになる。
厳しく注意されて出来るようになるのだ。
最近の親や先生は厳しい注意をしなくなったと聞く。子供をかわいそうに思うのだろうか?
本当にかわいそうなのは何も出来ないままに大きくしてしまうことだ。厳しく注意され、我慢の末、努力の末に出来るようになったという実感を子供たちに教えてやらなければならない。
特に、最近入門する若い人や保護者の中にはその辺が理解できていないように感じる方が多い。だからこそいかにしてそういった部分を伝えていくかが我々指導者の悩みでもある。
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