数年前のドーハの悲劇、ドイツでのオーストラリア戦とブラジル戦、結局日本は成長していなかった。私はそう感じる。
ドーハの悲劇での同点に追いつかれてからの選手の表情とドイツでの二試合における終盤の選手の表情は同じのものだった。あるサッカー解説者が自分の胸をたたき「日本はここを鍛えなければ!」と言っていた。
道場での稽古や試合の最中に私が見るのは道場生の表情だ。稽古がきつくなってきた時、体格差のある選手と対戦する瞬間、思った以上の強い攻撃をもらった瞬間などは誰でもすぐに表情が変わる。
その瞬間にガッツのある表情に変化するのか、なえた表情になるのかは気持ちの強さを見る一番のポイントだ。
精神的強さを求めて通って来る道場生にはこの部分を鍛えてもらいたいが、さすがにこれは一朝一夕には鍛えられない。時間がかかる。試合で勝つより難しい。たっぷり時間をかけて、じっくり鍛えなければらない。道場以外でも活きる精神的強さにまで引き上げるには相当な努力が必要だ。
精神性が高いといわれる日本だが、最近では何事も海外の選手にやられている気がする。カラテもサッカーも、そしてそれ以外の何事においても、日本選手は技術や戦術以上に時間をかけ、精神を鍛えなければならないだろう。
ドーハの悲劇での同点に追いつかれてからの選手の表情とドイツでの二試合における終盤の選手の表情は同じのものだった。あるサッカー解説者が自分の胸をたたき「日本はここを鍛えなければ!」と言っていた。
道場での稽古や試合の最中に私が見るのは道場生の表情だ。稽古がきつくなってきた時、体格差のある選手と対戦する瞬間、思った以上の強い攻撃をもらった瞬間などは誰でもすぐに表情が変わる。
その瞬間にガッツのある表情に変化するのか、なえた表情になるのかは気持ちの強さを見る一番のポイントだ。
精神的強さを求めて通って来る道場生にはこの部分を鍛えてもらいたいが、さすがにこれは一朝一夕には鍛えられない。時間がかかる。試合で勝つより難しい。たっぷり時間をかけて、じっくり鍛えなければらない。道場以外でも活きる精神的強さにまで引き上げるには相当な努力が必要だ。
精神性が高いといわれる日本だが、最近では何事も海外の選手にやられている気がする。カラテもサッカーも、そしてそれ以外の何事においても、日本選手は技術や戦術以上に時間をかけ、精神を鍛えなければならないだろう。
先日、県大会(4月)と伊豆長岡の試合(6月)の打ち上げを同時に行った。「大会の打ち上げ」と聞くと選手だけだと考えがちだが静岡南道場はそうではない。少年部が7〜8割を占めるので当然選手と保護者の方にも参加頂いている。南道場は1回の大会に出場する選手が多く(ほとんど少年部)、毎回5〜60名以上が出てくれるので、打ち上げも大変なものになる。今回の出席者も親子合わせて120〜30名になったと思う。しかし、準備は比較的簡単、「1品以上の持ち寄り」だからだ。
さて、それはさておき、保護者の方にはこういった機会を大事にして是非参加してほしい。こういった機会に「誰がどんな人で、どんな仲間がいるのか」、「自分の子供がどんな仲間と一緒に稽古しているのか」を見てほしい。何か行事あると「都合が悪いので参加できません。」と言われる方がいるがそんなお家はお子さんも消極的ではないだろうか。多くの道場生を見ているとそんな気がする。
消極的なお子さんを変えたいと望むのはどこの親でも同じ思いだが子供を変えたいと望むならその前にまず親に変わってもらいたい。
どうだろうか。
さて、それはさておき、保護者の方にはこういった機会を大事にして是非参加してほしい。こういった機会に「誰がどんな人で、どんな仲間がいるのか」、「自分の子供がどんな仲間と一緒に稽古しているのか」を見てほしい。何か行事あると「都合が悪いので参加できません。」と言われる方がいるがそんなお家はお子さんも消極的ではないだろうか。多くの道場生を見ているとそんな気がする。
消極的なお子さんを変えたいと望むのはどこの親でも同じ思いだが子供を変えたいと望むならその前にまず親に変わってもらいたい。
どうだろうか。
道場内での出来事。
試合を目指し、一生懸命サンドバックを叩いていた少年部がいた。拳を見ると皮がめくれて血がにじんでいた。それを見つけた一般部の方が「そんなにやり過ぎたら手に良くないんじゃないか。止めた方がいいよ。」と言った。近くで見ていた私はこう話した。「大丈夫、手の皮がめくれたくらいでどうこうなることは無い。そのまま続けて後でしっかりケアするように。」と。そしてさらに続けた。「明日も叩きたいなら叩け。薄皮がはった状態で叩くと最初の数分はヒリヒリして痛いが集中して叩き、しばらくすると痛みを感じなくなる。いい加減な叩き方をするといつまでも痛いが集中すれば大丈夫だ。」と。
実はこれは私自身の経験からくるものだった。私も現役時代毎日毎日サンドバックを叩いた。拳の部分の皮がべロッとめくれ、ヒリヒリして顔を洗うにも風呂に入るにも大変だった。しかし稽古は続けなければならない。試合までの2〜3ケ月は我慢しなければならなかった。そのときの経験だ。
極真の稽古は量の稽古がベースだ。腕立てや腹筋も100や200ではなく500、1000の単位で取り組む気持ちが大事だ。もちろん最初からそんなに出来るわけでもないし、一気にこなし通せる訳ではない。しかし、「出来る訳無い!」と最初から諦めてはならない。諦めてしまうその考えが間違いなのだ。手の皮がめくれたくらいで稽古を中止したらその先にあるものを見つけられないではないか。サンドバックも叩いて叩いて叩きまくる、その経験が試合にも、そしてその後の生活にも活きて来るのだ。常識を超えたところに極真の強さがあり、それを学んでこそ極真に入門した甲斐があるのだ。稽古不足・経験不足の上級者たちにも分かってもらいたい。
試合を目指し、一生懸命サンドバックを叩いていた少年部がいた。拳を見ると皮がめくれて血がにじんでいた。それを見つけた一般部の方が「そんなにやり過ぎたら手に良くないんじゃないか。止めた方がいいよ。」と言った。近くで見ていた私はこう話した。「大丈夫、手の皮がめくれたくらいでどうこうなることは無い。そのまま続けて後でしっかりケアするように。」と。そしてさらに続けた。「明日も叩きたいなら叩け。薄皮がはった状態で叩くと最初の数分はヒリヒリして痛いが集中して叩き、しばらくすると痛みを感じなくなる。いい加減な叩き方をするといつまでも痛いが集中すれば大丈夫だ。」と。
実はこれは私自身の経験からくるものだった。私も現役時代毎日毎日サンドバックを叩いた。拳の部分の皮がべロッとめくれ、ヒリヒリして顔を洗うにも風呂に入るにも大変だった。しかし稽古は続けなければならない。試合までの2〜3ケ月は我慢しなければならなかった。そのときの経験だ。
極真の稽古は量の稽古がベースだ。腕立てや腹筋も100や200ではなく500、1000の単位で取り組む気持ちが大事だ。もちろん最初からそんなに出来るわけでもないし、一気にこなし通せる訳ではない。しかし、「出来る訳無い!」と最初から諦めてはならない。諦めてしまうその考えが間違いなのだ。手の皮がめくれたくらいで稽古を中止したらその先にあるものを見つけられないではないか。サンドバックも叩いて叩いて叩きまくる、その経験が試合にも、そしてその後の生活にも活きて来るのだ。常識を超えたところに極真の強さがあり、それを学んでこそ極真に入門した甲斐があるのだ。稽古不足・経験不足の上級者たちにも分かってもらいたい。
伊豆長岡での試合翌日、多くの道場生がいつものように稽古に来てくれた。
いつもと変わらず、いつものように。
本当に嬉しかったし、普通なら気を抜くその日にいつもと変わらず稽古に来てくれた道場生は何処が頑張りどころか、何処が踏ん張りどころかを解ってきてくれたのだと感じた。
私自身が試合に出ていた頃、師範・先生・先輩から「試合を通して何かを得たいなら、試合後が大切だ。試合後、気を抜かずいつもと同じように稽古することから精神的な強さを得られる。」と教えられた。
その考えは、今も私の心の支えになっているし、道場生にもそう伝えてきた。最初の頃はなかなか理解してもらえず試合後に気を抜いて稽古に来ない道場生がたくさんいたが今は違う。
道場生も保護者も「試合結果だけが大切なのではない。その後が大切なのだ。」と。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
静岡南道場は1週間に14コマの稽古クラスが設定されている。
月・木・土に3コマ、火・金に2コマ、日曜に1コマ。
どのクラスにもたくさん稽古に来てくれているが「月・木19時から」のクラスは試合参加を希望する道場生が多く一度には稽古が出来ないので今年の県大会に合わせて増設したクラスだ。
県大会〜伊豆長岡大会と試合が続き本当によく稽古してくれたと道場生を褒めてあげたいし、この増設したクラスへも積極的に出席してくれた。この時間帯のクラスは試合が終わっても引き続き継続する旨を伝えてはいたが、正直「試合が終われば参加者が減るだろうなぁ」と思っていた。しかし、試合翌日にもかかわらずたくさんの参加者があった。
普通の人が気を抜くときでも、武道家は気を抜かない。自分自身にも言い聞かせている。
いつもと変わらず、いつものように。
本当に嬉しかったし、普通なら気を抜くその日にいつもと変わらず稽古に来てくれた道場生は何処が頑張りどころか、何処が踏ん張りどころかを解ってきてくれたのだと感じた。
私自身が試合に出ていた頃、師範・先生・先輩から「試合を通して何かを得たいなら、試合後が大切だ。試合後、気を抜かずいつもと同じように稽古することから精神的な強さを得られる。」と教えられた。
その考えは、今も私の心の支えになっているし、道場生にもそう伝えてきた。最初の頃はなかなか理解してもらえず試合後に気を抜いて稽古に来ない道場生がたくさんいたが今は違う。
道場生も保護者も「試合結果だけが大切なのではない。その後が大切なのだ。」と。
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静岡南道場は1週間に14コマの稽古クラスが設定されている。
月・木・土に3コマ、火・金に2コマ、日曜に1コマ。
どのクラスにもたくさん稽古に来てくれているが「月・木19時から」のクラスは試合参加を希望する道場生が多く一度には稽古が出来ないので今年の県大会に合わせて増設したクラスだ。
県大会〜伊豆長岡大会と試合が続き本当によく稽古してくれたと道場生を褒めてあげたいし、この増設したクラスへも積極的に出席してくれた。この時間帯のクラスは試合が終わっても引き続き継続する旨を伝えてはいたが、正直「試合が終われば参加者が減るだろうなぁ」と思っていた。しかし、試合翌日にもかかわらずたくさんの参加者があった。
普通の人が気を抜くときでも、武道家は気を抜かない。自分自身にも言い聞かせている。
静岡南道場には多くの幼年、少年が稽古に来てくれている。こういった公の場でどこまで話をしていいのかは悩むところだが出来るだけたくさんの人に静岡南道場を理解していただきたいので記してみたい。
下は幼年部の年少さん(3歳)から稽古に来てくれている。右も左も分からない彼らにはまず話を聞いてもらうところから始めなければならない。中には泣き叫び道場の中に入ってもくれない、入ってくれたとしてもその場にじっとしていられない、そんな彼らにこっちを向いてもらい、正座から黙想、準備運動と教えていく。(「教える」というより、「ねぇ、みんな、先生の話、分かる?」といった感じだ。)子供たちに何かを伝えることが如何に大変かということを、こちらが学びながらの指導である。
少年部には特殊学級の子も来てくれている。稽古に来始めてもう4年になるだろうか?最初は落ち着きも無く、周りとも上手く関われるか心配であったが、子供たちは大人よりも柔軟ですぐに仲良くなってくれた。それでも自分の決めたことが出来ずにいらいらして大きな声を出したり泣いたりしたこともあったが徐々に成長しこの夏は一つ上の帯を目指している。
他にも、それぞれ、子育ての悩みを抱えている保護者が道場の門を叩く。チラシを見たのか、電話帳を引いてくれたのか、口コミなのか、保護者の方々はこの「空手道場」に何かを求めている訳だ。
集中力が無い、すぐ泣く、だらだらしている、覇気が無いなどの精神的な部分から、骨格のゆがみ、姿勢の悪さなど体格・体力的な問題まで、現在の社会の縮図を見るような気がする。私自身、子育ての真っ最中、親として日々考えさせられることばかりだ。
以前、「極真」という強さの象徴であったものが、今、「武道=人格形成」という本来の存在意義を問われているのではないだろうかと感じる。強くなるには厳しい指導が必要だ。しかし、ただ厳しいだけのふるいに掛ける指導は避けなければならないだろう。その昔、「極真」といえば「間引くことさえ行われる。」といった厳しい稽古がなされていたがその厳しい稽古体系を背景に現在では各道場を預かる指導員が工夫を凝らした稽古を行っている。これこそが「育てる指導」だ。育てる指導が出来なければ幼年や特殊学級の子たちを育てられないではないか。もしそういった工夫を知らない指導員がいたなら反省と熟考を促したい。(少なくとも私はそう考えている。)そして、この静岡南道場が多くの人のよりどころとなれば幸いである。そうでなければ本当の普及・発展は無いだろうし、またそういった底辺をの拡充があってこそ、さらに高い山を造ることが出来るのではないだろうか?
下は幼年部の年少さん(3歳)から稽古に来てくれている。右も左も分からない彼らにはまず話を聞いてもらうところから始めなければならない。中には泣き叫び道場の中に入ってもくれない、入ってくれたとしてもその場にじっとしていられない、そんな彼らにこっちを向いてもらい、正座から黙想、準備運動と教えていく。(「教える」というより、「ねぇ、みんな、先生の話、分かる?」といった感じだ。)子供たちに何かを伝えることが如何に大変かということを、こちらが学びながらの指導である。
少年部には特殊学級の子も来てくれている。稽古に来始めてもう4年になるだろうか?最初は落ち着きも無く、周りとも上手く関われるか心配であったが、子供たちは大人よりも柔軟ですぐに仲良くなってくれた。それでも自分の決めたことが出来ずにいらいらして大きな声を出したり泣いたりしたこともあったが徐々に成長しこの夏は一つ上の帯を目指している。
他にも、それぞれ、子育ての悩みを抱えている保護者が道場の門を叩く。チラシを見たのか、電話帳を引いてくれたのか、口コミなのか、保護者の方々はこの「空手道場」に何かを求めている訳だ。
集中力が無い、すぐ泣く、だらだらしている、覇気が無いなどの精神的な部分から、骨格のゆがみ、姿勢の悪さなど体格・体力的な問題まで、現在の社会の縮図を見るような気がする。私自身、子育ての真っ最中、親として日々考えさせられることばかりだ。
以前、「極真」という強さの象徴であったものが、今、「武道=人格形成」という本来の存在意義を問われているのではないだろうかと感じる。強くなるには厳しい指導が必要だ。しかし、ただ厳しいだけのふるいに掛ける指導は避けなければならないだろう。その昔、「極真」といえば「間引くことさえ行われる。」といった厳しい稽古がなされていたがその厳しい稽古体系を背景に現在では各道場を預かる指導員が工夫を凝らした稽古を行っている。これこそが「育てる指導」だ。育てる指導が出来なければ幼年や特殊学級の子たちを育てられないではないか。もしそういった工夫を知らない指導員がいたなら反省と熟考を促したい。(少なくとも私はそう考えている。)そして、この静岡南道場が多くの人のよりどころとなれば幸いである。そうでなければ本当の普及・発展は無いだろうし、またそういった底辺をの拡充があってこそ、さらに高い山を造ることが出来るのではないだろうか?
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